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【元テニス選手】松岡修造の実家は金持ち?東宝との関係や父親の経歴を調査

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“日本一熱い男”として知られる元プロテニス選手・松岡修造さん。

スポーツキャスターとして活躍する一方で、阪急・東宝グループの創業家につながる家柄でも知られています。

「実家はお金持ちなの?」「東宝とはどんな関係があるの?」と気になっている人も多いのではないでしょうか。

この記事では、松岡修造さんの実家が金持ちといわれる理由や東宝との関係、父親・松岡功さんの経歴について整理しました。

この記事を読んでわかること
  • 松岡修造の実家が金持ちな理由
  • 曽祖父・小林一三の経歴
  • 高祖父・初代松岡修造の経歴
  • 松岡修造と東宝の関係
  • 父親・松岡功のプロフィールと経歴

松岡修造の実家は金持ち?

松岡修造さんの実家は、阪急電鉄や宝塚歌劇団、東宝を築いた一族の家系で、いわゆる名家にあたります。

曽祖父が阪急・東宝グループの創業者で、祖父・父・兄の3代が東宝の社長を務めてきました。

テニスの道を選んだ松岡修造さんは、「御曹司」と紹介されることも少なくありません。

ここでは、実家が金持ちといわれる理由を、曽祖父と高祖父の経歴から整理します。

曽祖父は小林一三/阪急・宝塚・東宝を創業

松岡修造さんの曽祖父は、阪急・東宝グループの創業者である小林一三さんです。

小林一三さんは1873年に現在の山梨県韮崎市で生まれ、慶應義塾を卒業後、三井銀行に入行しました。

その後、鉄道事業を手がけ、現在の阪急電鉄の礎を築いた実業家として知られています。

沿線の住宅開発や百貨店、宝塚歌劇団の創設など、鉄道を軸にした事業を次々と展開しました。

1932年には東宝の前身となる株式会社東京宝塚劇場を設立し、映画や演劇の分野にも進出しています。

2017年に長女が宝塚音楽学校に合格した際には、松岡修造さん自身がブログで小林一三さんの言葉を引用し、娘にエールを送っていました。

高祖父の初代・松岡修造も実業家

松岡修造さんの高祖父にあたるのが、同じ名前を持つ初代・松岡修造さんです。

2025年8月に放送されたNHK『ファミリーヒストリー』では、この初代が大阪で米穀商として財を成したことが紹介されました。

米穀商として成功したあとは、船会社を設立しています。

番組では、名前がこの初代にあやかって付けられたことも明かされました。

小林一三さんの次男・松岡辰郎さんは、この松岡家に養子に入っています。

つまり、阪急・東宝の小林家と、海運業で財を成した松岡家の両方の流れをくむ家系ということになります。

なお、母親は元宝塚歌劇団の男役スター・千波静さんです。

松岡修造と東宝の関係は?

松岡修造さんは、東宝の創業家の一員です。

祖父・父・兄の3代が東宝の社長を務めており、兄は現在も東宝のトップに立っています。

松岡家と東宝のつながりを、社長の系譜から順に紹介します。

祖父・父・兄の3代が東宝の社長

松岡修造さんの祖父・松岡辰郎さん、父・松岡功さん、兄・松岡宏泰さんは、いずれも東宝の社長を務めています。

続柄 名前 東宝社長の在任
祖父 松岡辰郎 1960年代後半〜1974年
父 松岡功 1977年〜1995年
兄 松岡宏泰 2022年〜

祖父・松岡辰郎さんは社長在任中の1974年に亡くなり、その3年後に父・松岡功さんが社長に就任しました。

父の退任後は創業家以外の社長が続き、2022年に兄が就任したことで、創業家出身の社長は27年ぶりと報じられました。

松岡修造の兄・宏泰は現在の東宝社長

松岡修造さんの兄・松岡宏泰さんは、2022年5月から東宝の代表取締役社長を務めています。

1966年にイタリア・ローマで生まれ、慶應義塾大学法学部を卒業後、アメリカに留学しました。

1994年に洋画配給会社の東宝東和に入社し、2008年に同社の社長に就任しています。

2014年に東宝の取締役となり、常務などを経て社長に就きました。

学生時代はテニスに打ち込み、弟のツアーに同行して支えたこともあったと報じられています。

東宝が2026年5月に提出した有価証券報告書でも、代表取締役社長として名前が記載されています。

同報告書によると、東宝グループの2026年2月期の営業収入は約3606億円、純利益は約517億円でした。

これは会社の業績であり、松岡家の個人資産を示すものではありませんが、一族が率いる企業の規模の大きさがうかがえます。

松岡修造は家業を継がずテニスの道へ

松岡修造さん本人は、東宝の経営には携わらず、テニス選手の道を選びました。

慶應義塾の幼稚舎から高校まで進んだあと、テニスの名門・柳川高校に移り、インターハイでシングルス・ダブルス・団体の3冠を達成しています。

その後、高校を中退してアメリカに渡り、1986年にプロへ転向しました。

1992年には、日本人男子として初めてATPツアーで優勝しました。

1995年のウィンブルドンでは、日本人男子として数十年ぶりとなるベスト8に進出しています。

2018年の会見では、父親から家業について話されたことは一切なかったと明かしていました。

現役引退後は、ジュニア選手の育成やスポーツキャスターとして活躍しており、家業とは別の分野で自らの道を切り開いてきたといえます。

松岡修造の父親・松岡功の経歴は?

松岡修造さんの父親・松岡功さんは、東宝の社長・会長を歴任し、2009年に名誉会長に就任した実業家です。

若い頃はテニス選手としても活躍し、日本代表に選ばれた経歴を持っています。

ここでは、松岡功さんのプロフィールや経歴、息子・修造さんとのエピソードを見ていきます。

父親・松岡功のプロフィールと学歴

松岡功さんのプロフィールは、以下のとおりです。

項目 内容
名前 松岡功(まつおか いさお)
生年月日 1934年12月18日
出身地 兵庫県芦屋市
学歴 甲南大学経済学部卒業
主な経歴 東宝社長・会長、東宝名誉会長(2009年就任)、日本アカデミー賞協会名誉会長

甲南幼稚園から甲南大学まで、一貫して甲南の学校で学びました。

2016年には、日本経済新聞の連載「私の履歴書」に自らの半生をつづりました。

父親・松岡功はテニス選手だった!

松岡功さんは、東宝に入る前からテニス選手として活躍していました。

報道によると、大学時代には大学選手権で優勝し、1956年には男子テニスの国別対抗戦・デビスカップの日本代表にも選ばれています。

兄・松岡宏泰さんも学生時代はテニスに打ち込んでおり、松岡家は親子2代にわたるテニス一家として知られています。

【時系列】父親・松岡功の経歴

松岡功さんは東宝に入社後、海外部門を中心にキャリアを重ね、42歳で社長に就任しました。

主な経歴は、以下のとおりです。

年 経歴
1957年 甲南大学を卒業し、東宝に入社
1960年 外国部アメリカ課に配属
1965年 外国部ローマ課に配属
1967年 東宝東和に出向
1970年 東宝の取締役に就任
1973年 常務取締役・営業本部長に就任
1974年 副社長に就任
1977年 代表取締役社長に就任(42歳)
1995年 代表取締役会長に就任
2009年 名誉会長に就任

副社長への就任は、1974年に父・松岡辰郎さんが亡くなったことを受けたもので、将来の社長就任を見据えた人事でした。

40代での社長就任は日本映画界で初めてで、創業者の血筋への社長継承だったことから「大政奉還」とも表現されました。

松岡功は息子・修造のプロ転向に反対

松岡功さんは、息子・修造さんがプロテニス選手を目指すことに、当初は前向きではありませんでした。

2018年の会見で、松岡修造さんは父にプロになりたいと伝えたときのことを振り返っています。

そのとき父からは、テニスで成功できるかはわからないとして、板前になってはどうかと勧められたそうです。

松岡修造さんは幼い頃からすし屋で職人の仕事を熱心に見ていたといい、板前への興味もあったと話しています。

一方で、1995年のウィンブルドン準々決勝では、両親も会場で息子の試合を見守っていたと報じられています。

厳しい言葉をかけながらも、息子の挑戦を見届けていた父親の姿がうかがえます。

松岡修造の実家のまとめ

最後に、松岡修造さんの実家や東宝との関係、父親の経歴についてまとめます。

松岡修造の実家まとめ
  • 松岡修造の実家は、阪急・宝塚・東宝を築いた一族の家系
  • 曽祖父は阪急・東宝グループ創業者の小林一三、高祖父は実業家の初代・松岡修造
  • 祖父・父・兄の3代が東宝の社長を務め、兄・松岡宏泰は2022年から現社長
  • 父・松岡功は元デビスカップ日本代表で、東宝社長・会長を経て2009年に名誉会長に就任
  • 松岡修造は家業を継がず、反対を受けながらもテニスの道を選んだ

松岡修造さんの実家は、阪急・東宝グループの創業家につながる名家で、金持ちといわれるのも自然な家柄です。

祖父・父・兄が東宝の社長を務める一方で、松岡修造さん自身は家業とは別のテニスの世界に進みました。

父・松岡功さんから厳しい言葉をかけられながらも、世界の舞台で結果を残してきた歩みは、恵まれた家柄だけでは語れないものといえます。

熱血キャラクターの裏にある家族の歴史を知ると、松岡修造さんの言葉にも違った重みが感じられるかもしれません。