ゴールドマン・サックスで最高役職まで上り詰め、現在は総会員数約2.7万人のオンラインコミュニティを主宰する実業家・河村真木子さん。
そんな河村真木子さんが、2026年9月25日放送のABEMA『ダマってられない女たち season3』に登場し、高校時代はヤンキーだった過去を明かしました。
家族もメディアに初めて出演し、当時の荒れた生活ぶりを語りました。
「河村真木子さんとはいったい何者なのか」「元ヤンからどうやって年商40億円の経営者になったのか」と気になった方も多いのではないでしょうか。
この記事では、河村真木子さんのプロフィールや事業内容、元ヤン時代のエピソード、学歴と経歴について整理しました。
- 河村真木子さんのプロフィールと事業内容
- 番組で明かされたヤンキー時代のエピソード
- 出身高校や大学などの学歴
- 元ヤンからゴールドマン・サックス、起業までの経歴
- 「年商40億」と紹介された事業の規模
河村真木子は何者?事業内容は?
河村真木子さんは、外資系金融機関ゴールドマン・サックスで最高役職のマネージングディレクターを務めたあと、起業した実業家です。
2021年に立ち上げたオンラインコミュニティを中心に、カフェや美容、金融教育などの事業を幅広く手がけています。
まずはプロフィールと、現在の事業内容を見ていきましょう。
河村真木子のプロフィール
河村真木子さんの基本的なプロフィールは、次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 河村真木子(かわむら まきこ) |
| 生まれた年 | 1976年 |
| 年齢 | 50歳(2026年9月の番組放送時点) |
| 出身地 | 奈良県 |
| 最終学歴 | カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)卒業 |
| 前職 | ゴールドマン・サックス(マネージングディレクター) |
| 現職 | 実業家、オンラインコミュニティ「Holland Village Members’ Club」主宰 |
| きょうだい | 三姉妹の次女 |
| 子ども | 娘1人 |
河村真木子さんは奈良県で生まれ、商社マンだった父親の転勤に伴って各地で幼少期を過ごしました。
三姉妹の次女として育ち、両親は勉強や習い事を強いることなく、個性を尊重してくれたとインタビューで語っています。
シングルマザーとして1人娘を育ててきたことも公表しています。
河村真木子の事業内容
河村真木子さんの事業の柱は、2021年8月に開設したオンラインコミュニティ「Holland Village Members’ Club」です。
開設からわずか1年で会員数が1万人を突破し、現在は関連コミュニティを含めた総会員数が約2.7万人にのぼると紹介されています。
オンラインサロンの値段や入会方法は、こちらの記事で整理しています。
https://yuzuho-life.com/kawamura-makiko-online-salon/
DMMオンラインサロンのアワードでは、2026年までに4年連続で「オンラインサロン大賞」を受賞しました。
オンラインの活動にとどまらず、全国7店舗の会員制カフェや、2025年10月に東京・麻布十番でオープンしたスパ・ラウンジ複合施設も運営しています。
ほかにも、炭酸パックなどの美容事業や、2025年6月に開講した学生向けの「金融経済アカデミー」など、事業の幅は年々広がっています。
2026年1月にはタレントのMEGUMIさんとの美容サロンの立ち上げや、2冊目となる著書の発売も重なりました。
同年4月からは、YouTuberのヒカルさんと共演するYouTube番組『インテリジェンス』の配信も始まっています。
【元ヤン】河村真木子のヤンキー時代は?
河村真木子さんは、大阪の高校に通っていた時代に非行に走り、荒れた生活を送っていたことをABEMAの番組で語っています。
エリートの経歴からは想像しにくい過去ですが、この時期が後の人生を大きく変えるきっかけにもなりました。
ここでは、放送や報道で伝えられた内容を順に紹介します。
大阪の高校で非行に走ったきっかけ
河村真木子さんは、シンガポールから帰国して大阪に引っ越した高校時代に、周囲に流されるように非行に走ったと報じられています。
インタビューでは、不良仲間と遊び歩くうちに、勉強どころか学校にも行かなくなっていたと振り返っています。
放送では、河村真木子さん自身が当時の気持ちを「外の世界を見に行きたくて」と語りました。
自由を求める気持ちが、家の外に居場所を探す行動につながっていったようです。
暴走族の彼氏と家出…家族が明かした当時の様子
同番組には河村真木子さんの家族がメディアに初めて出演し、当時の様子を振り返りました。
河村真木子さんは暴走族の彼氏と付き合い、バイクで夜の街を走り回ったり、家出をしたりしていたそうです。
妹さんは「とにかくすごく毎日荒れてて。母も毎日泣いてた」と話しています。
家族を巻き込むほどの荒れぶりだったことがうかがえます。
妹のお年玉8万4000円でバイクを購入
放送では、さらに驚きの話も飛び出しました。
報道によると、河村真木子さんは妹さんがお年玉で貯めていた8万4000円を持ち出し、バイクを購入していたといいます。
この話は、妹さんの口から語られたものです。
当時の荒れぶりを象徴する出来事といえそうです。
「ヤンチャはダサい」高校3年生で決めたアメリカ留学
転機が訪れたのは高校3年生のときです。
河村真木子さんは「いつまでもヤンチャはダサい」と一念発起し、父親に泣いてアメリカ留学を頼み込みました。
散々迷惑をかけた後のお願いだったため、最初は「ふざけんな」と言われたそうです。
インタビューでは、シンガポール時代の友人たちが帰国子女の立場を生かして有名大学に進んでいたことが、留学を決めた理由の一つだったと語っています。
両親が「あなたは地頭がいい。やればできる」と言い続けてくれたことも、背中を押したそうです。
この決断が、ヤンキー時代から抜け出す大きな一歩になりました。
河村真木子の学歴は?出身高校や大学
河村真木子さんの最終学歴は、アメリカの名門カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)の卒業です。
日本とシンガポール、アメリカを行き来しながら学んできた、珍しい経歴の持ち主でもあります。
ここでは、小・中学校から大学までの学歴を整理します。
小・中学校時代はシンガポールの日本人学校
河村真木子さんは、親の転勤に伴って千葉県や大阪府で幼少期を過ごしました。
その後、商社マンだった父親の転勤で、10歳から15歳までをシンガポールで過ごしています。
シンガポール時代は日本人学校に通っていたため、英語はほとんどできなかったそうです。
小学校・中学校の具体的な校名は、報道やインタビューでは明かされていないようです。
出身高校は大阪の公立高校とロサンゼルスの高校
河村真木子さんは1992年に日本へ帰国し、大阪府の公立高校に入学しました。
報道によると、東大阪で過ごした高校時代に通っていたのは「偏差値42」の高校だったといいます。
ただし、大阪の高校の校名は明かされていないようです。
その後、1994年にロサンゼルスの高校「Le Lycée Français de Los Angeles」に編入しました。
現地ではまず語学学校で英語を学び、ロサンゼルスで入れる高校とホームステイ先を自分で探して手配したそうです。
英語は2年間でかなり上達し、成績もとても良かったとインタビューで振り返っています。
1996年に同校を卒業しており、本人は放送の中で、高校を20歳で卒業したと話しています。
出身大学はUCバークレー(関西学院大学は中退)
河村真木子さんは、ロサンゼルスの高校を卒業した1996年に、帰国して関西学院大学に入学しました。
しかし、その後自主退学し、再びアメリカへ渡っています。
カリフォルニアのコミュニティカレッジで学んだあと、1997年にUCバークレーへ編入し、2000年に卒業しました。
河村真木子の学歴一覧表
ここまで見てきた河村真木子さんの学歴を、時系列で一覧にまとめました。
| 区分 | 学校・時期 |
|---|---|
| 小学校 | 千葉県・大阪府などで過ごしたのち、シンガポールの日本人学校へ(校名は明かされていない) |
| 中学校 | シンガポールの日本人学校(校名は明かされていない) |
| 高校 | 大阪府の公立高校に入学(1992年、校名は明かされていない) |
| 高校 | Le Lycée Français de Los Angelesに編入(1994年) |
| 高校 | Le Lycée Français de Los Angelesを卒業(1996年) |
| 大学 | 関西学院大学に入学(1996年、のちに自主退学) |
| 大学 | カリフォルニア州のコミュニティカレッジ |
| 大学 | カリフォルニア大学バークレー校に編入(1997年) |
| 大学 | カリフォルニア大学バークレー校を卒業(2000年) |
日本とシンガポール、アメリカを行き来しながらも、最終的には名門UCバークレーの卒業までたどり着いたことがわかります。
高校時代につまずいた経験が、その後の学び直しの原動力になったといえそうです。
河村真木子の経歴は?ヤンキーから年商40億の経営者へ
アメリカで学ぶ楽しさに目覚めた河村真木子さんは、名門大学を経て外資系金融の世界へ進みます。
ここからは、経歴の流れを一覧で確認したうえで、各時期の歩みを詳しくたどります。
河村真木子の経歴一覧
河村真木子さんの歩みを、年表で整理しました。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1976年 | 奈良県で生まれる |
| 10歳〜15歳 | 父親の転勤でシンガポールで過ごす |
| 1992年 | 帰国し、大阪府の公立高校に入学 |
| 1994年 | ロサンゼルスの高校に編入 |
| 1996年 | ロサンゼルスの高校を卒業し、関西学院大学に入学(のちに自主退学) |
| 1997年 | コミュニティカレッジを経てUCバークレーに編入 |
| 2000年 | UCバークレーを卒業 |
| 2001年 | リーマン・ブラザーズに入社 |
| 2008年 | ゴールドマン・サックスに入社(のちにマネージングディレクター) |
| 2019年 | ゴールドマン・サックスを退社 |
| 2021年 | オンラインコミュニティを設立 |
| 2022年 | 初の著書『超フレキシブル人生論』を出版 |
| 2025年 | 金融経済アカデミーを開講、麻布十番にスパ・ラウンジ複合施設をオープン |
| 2026年 | 2冊目の著書を出版、ABEMAの番組で元ヤン時代を告白 |
ヤンキーだった高校時代から、10年足らずで外資系金融の世界に入ったことになります。
その後もゴールドマン・サックスでの活躍から起業へと、節目ごとに大きな決断を重ねてきたことが読み取れます。
関西学院大学中退からUCバークレー卒業
アメリカの高校で成績を伸ばした河村真木子さんは、留学をきっかけに学ぶ楽しさに目覚めました。
一度は日本の大学に入ったものの、「自分はもっと上を目指せる」と確信し、再びアメリカへ渡る決断をしています。
コミュニティカレッジでは優秀な成績を収め、名門UCバークレーへの編入を果たしました。
スタジオでは、高校を20歳で卒業した時期が自分の中でつらかったと打ち明けました。
その時の自分を「浄化させなきゃ」という思いが、難関大学を目指す原動力になったと語っています。
リーマン・ブラザーズからゴールドマン・サックスへ
大学卒業後、河村真木子さんは2001年に外資系投資銀行のリーマン・ブラザーズに入社しました。
2008年にはゴールドマン・サックスに移り、同社の最高役職であるマネージングディレクターとして活躍します。
放送では、ゴールドマン・サックス時代の基本給が年5000万円で、最高年収は約3億円だったことも伝えられました。
男性中心の金融業界で、女性として数少ない幹部まで上り詰めた経歴は、多くの働く女性から支持される理由の一つとみられます。
2021年に起業/オンラインサロンを設立
河村真木子さんは2019年にゴールドマン・サックスを退社しました。
2021年8月には、オンラインコミュニティ「Holland Village Private Community(現・Holland Village Members’ Club)」を設立し、起業家としての道を歩み始めます。
会員の約9割が女性とされ、毎朝欠かさず配信する経済コラムなどを軸に、会員数を伸ばしてきました。
密着映像では、毎朝4時に起きて情報収集とコラムの執筆にあたる生活ぶりも紹介されました。
河村真木子の「年商40億」は本当?事業の規模
「年商40億」は、ABEMAの番組で河村真木子さんの事業規模として紹介された数字です。
放送では、オンラインサロンをはじめとするさまざまな事業を手がけ、年商は約40億円と伝えられました。
ただし、決算などの具体的な数字や内訳は、番組や報道では明かされていません。
過去の報道でも、オンラインコミュニティの売上は月1億円以上ともいわれると紹介されていました。
事業内容で触れたように、コミュニティに加えてカフェやスパ、美容、書籍、金融教育と、収益源は多岐にわたります。
こうした事業の広がりを見ると、大きな事業規模であることはうかがえます。
複数の事業を並行して育ててきた点が、河村真木子さんの経歴の大きな特徴です。
河村真木子は何者?まとめ
最後に、この記事のポイントを整理します。
- 河村真木子さんは、ゴールドマン・サックスでマネージングディレクターを務めた実業家
- 2021年に設立したオンラインコミュニティは総会員数約2.7万人の規模
- 高校時代は暴走族の彼氏と付き合い、家出をするなど荒れた生活を送っていた
- 高校3年生で一念発起し、父親に頼み込んでアメリカへ留学
- 最終学歴はUCバークレー卒業(関西学院大学は中退)
- リーマン・ブラザーズとゴールドマン・サックスを経て、2021年に起業
- 「年商40億」は番組で紹介された数字で、決算や内訳は明かされていない
河村真木子さんの経歴は、華やかな肩書きの裏に、ヤンキー時代からの大きな方向転換がありました。
高校3年生での留学をはじめ、自分で決めて行動してきた積み重ねが、現在の事業につながっているようです。
カフェや美容、金融教育と事業の幅を広げ続けている河村真木子さんの今後の展開にも注目です。