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【GMO社長】熊谷正寿は何者?妻や総資産、若い頃の経歴や高校大学など学歴を整理

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GMOインターネットグループを一代で築いた創業者・熊谷正寿さん。

そんな熊谷正寿さんが、グループ会社のサービスへの不正アクセス問題で、2026年11月2日午後に記者会見を開く予定です。

10月25日には自身のブログで謝罪しており、会社としての会見はこの問題で初めてとなります。

ニュースで名前を見て「熊谷正寿さんはどんな人なのか」「家族や資産はどうなっているのか」と気になった方も多いのではないでしょうか。

この記事では、熊谷正寿さんのプロフィールや妻、総資産、学歴、若い頃の経歴について整理しました。

この記事を読んでわかること
  • 熊谷正寿が何者なのかと、GMOでの役職
  • 熊谷正寿の妻と家族について公表されていること
  • 熊谷正寿の総資産の目安と、保有するGMO株
  • 熊谷正寿の学歴と、高校中退から上場までの若い頃の経歴

熊谷正寿は何者?GMOインターネットグループの創業者

熊谷正寿さんは、1991年に現在のGMOインターネットグループを創業し、今もグループの代表を務める実業家です。

まずは、熊谷正寿さんがどのような人物なのか、現在の役職とあわせて見ていきます。

熊谷正寿って何者?

熊谷正寿さんは、1963年7月17日生まれ、長野県出身の実業家です。

1991年5月に、GMOインターネットグループの前身となる株式会社ボイスメディアを設立しました。

1995年にはインターネット事業を始め、1999年8月に独立系のネットベンチャーとして国内で初めて株式の店頭公開を果たしています。

公式発表によると、グループはドメインからセキュリティ、決済までのインターネットインフラ事業を中心に、広告・メディア、金融、暗号資産なども手がけています。

高校を中退してから、一代で上場企業グループを築いた経営者です。

熊谷正寿はGMOインターネットグループ代表?

熊谷正寿さんは、GMOインターネットグループ株式会社の代表取締役グループ代表で、会長兼社長執行役員・CEOを務めています。

本人の公式プロフィールによると、グループAI変革最高責任者(グループCAIO)も兼ねています。

さらに、GMOインターネットやGMOペイメントゲートウェイ、GMOグローバルサイン・ホールディングスなど、主要なグループ会社の取締役会長も務めています。

今回の不正アクセス問題は、グループ会社のGMOインターネットが提供する「お名前.com デスクトップクラウド」で起きました。

熊谷正寿さんは10月25日、社内のホワイトハッカーから事前に課題を指摘されながら、十分な対策が間に合わなかったとブログで謝罪しています。

一部の報道では、侵入に使われたシステムの弱点を、グループ会社が2024年の時点で指摘していたと伝えられています。

報道によると、11月2日午後の記者会見には熊谷正寿さんのほか、GMOインターネットの伊藤正社長らが出席する予定です。

会見では、こうした対策が十分だったかどうかも問われる見通しです。

熊谷正寿のプロフィール

熊谷正寿さんの基本的なプロフィールを、表にまとめました。

生年月日や出身地は本人の公式プロフィール、家族はインタビューでの本人の発言をもとにしています。

名前 熊谷正寿
読み方 くまがい まさとし
生年月日 1963年7月17日
年齢 63歳(2026年11月時点)
出身地 長野県(東御市)
血液型 O型
最終学歴 國學院高等学校中退
現職 GMOインターネットグループ株式会社 代表取締役グループ代表 会長兼社長執行役員・CEO
創業 1991年5月(株式会社ボイスメディア)
家族 妻、娘(本人のインタビューより)
公式サイト クマガイコム

出身地は、GMOインターネットグループの公式発表で、長野県東御市が熊谷正寿さんの故郷として紹介されています。

熊谷正寿さんは東御市に私財を寄附しており、2022年から連続で4度、紺綬褒章を受章しました。

表のとおり、熊谷正寿さんは60代になった今も、自ら創業した会社の代表を続けています。

熊谷正寿の妻はどんな人?

熊谷正寿さんには20歳で結婚した妻がいますが、名前や職業などは公表されていません。

妻と家族については、本人がインタビューで語った範囲で整理します。

熊谷正寿の妻の名前や職業は?

熊谷正寿さんの妻の名前や職業、顔写真は公表されていません。

本人の公式プロフィールにも、家族についての記載はありません。

妻や娘の私生活に関わる情報は、これまで表に出ていない状況です。

熊谷正寿は20歳で結婚

熊谷正寿さんは、2003年のインタビューで

「20歳で結婚して、21歳で子供が生まれました」

と語っています。

2006年のインタビューでも、20歳で結婚し、21歳で女の子を授かったことが紹介されています。

当時の熊谷正寿さんは、父の会社で働きながら通信制の大学でも学んでいました。

同じインタビューでは、夫、父親、会社員、学生の「1人4役」の生活に忙殺されていたと明かしています。

起業する前の20代前半から、家族を支えながら働いていたことがわかります。

熊谷正寿の総資産はいくら?

熊谷正寿さんが総資産の額を公表したことはありませんが、保有するGMO株だけで1000億円を超える規模になります。

資産の目安は、保有するGMO株と長者番付での評価から読み取れます。

GMO株の約44%を個人と資産管理会社で保有

GMOインターネットグループの有価証券報告書によると、2025年12月末時点の大株主の1位は株式会社熊谷正寿事務所で、持株比率は35.66%です。

熊谷正寿さん個人の名義でも8.98%を保有しており、資産管理会社と合わせると約44%になります。

この割合は、会社が持つ自己株式を除いた株数に対するものです。

会社の公式サイトでは、2026年9月末時点で熊谷正寿事務所が約3572万株、熊谷正寿さん個人が約899万株を保有しています。

合わせて約4471万株を、10月30日の終値3248円で計算すると、評価額はおよそ1452億円になります。

ただし、これは資産管理会社の持ち分を含めた単純な試算で、熊谷正寿さん個人の総資産そのものではありません。

なお、不正アクセス問題を受けた10月26日には株価が前週末から590円下がり、この日だけで保有株の評価額が約264億円目減りした計算です。

フォーブスの長者番付での評価

経済誌のフォーブス・ジャパンは2020年6月、熊谷正寿さんの資産が10億ドル(約1070億円)を突破したと報じました。

新型コロナウイルスの感染拡大でネットの利用が増え、GMOの株価が上がったことが背景とされています。

一方で、2026年6月に発表されたフォーブスの日本長者番付(上位50人)には、熊谷正寿さんの名前はありません。

2026年版では50位の資産額が11億ドル(約1750億円)とされており、番付入りの水準には届いていないとみられます。

資産の大部分はGMO株とみられるため、株価の動きによって評価額は大きく変わります。

熊谷正寿の学歴は?高校や大学など

熊谷正寿さんの最終学歴は、國學院高等学校の中退です。

高校と放送大学での歩みは、本人の公式プロフィールに詳しくつづられています。

熊谷正寿の学歴一覧

熊谷正寿さんの学歴を、高校と大学に分けて表にまとめました。

入学と結果を分けて並べると、高校も大学も卒業には至っていないことがわかります。

学校 内容
高校 國學院大學附属 國學院高等学校
高校入学 首席で合格
高校の結果 2年生の夏に中退
大学 放送大学(1期生)
大学入学 1985年、特修生制度を利用して入学
大学の結果 在学期間満了により除籍

高校は首席で入学しながら中退し、放送大学も仕事との両立が難しく除籍となりました。

最終学歴は高校中退ですが、20歳を過ぎてから学び直そうとしていたことが表からも読み取れます。

國學院高校に首席で合格し、2年生の夏に中退

熊谷正寿さんは中学3年生のとき、青山学院高等部か國學院高校に進みたいと担任に相談しました。

当時の成績では難しいとされ、担任の言葉と態度が悔しくて必死に勉強したと公式プロフィールで振り返っています。

その結果、國學院高校に首席で合格しました。

しかし、2年生になるとほとんど勉強しなくなり、成績は600人中500番台まで落ちたそうです。

学年主任の先生に目を付けられ、その年の夏に高校を中退しています。

放送大学に1期生として入学

熊谷正寿さんは、20歳を過ぎてから勉強の必要性を強く感じたと語っています。

1985年に放送大学が開学すると、特修生制度を使って1期生として入学しました。

ただ、仕事が忙しく、在学期間満了で除籍となっています。

その後は独学で学び続けてきたと、本人は公式プロフィールで説明しています。

熊谷正寿の若い頃の経歴

熊谷正寿さんは高校中退後に父の会社で働き、27歳で起業、36歳で上場を果たしました。

年表で全体の流れをつかんだうえで、若い頃の出来事を順にたどります。

熊谷正寿の経歴年表

熊谷正寿さんの誕生から現在までの主な出来事を、年表にまとめました。

年がはっきりしない出来事は、インタビューで本人が語った時期で示しています。

年 出来事
1963年 長野県で生まれる
高校2年生の夏 國學院高校を中退
18歳になる前 父の家業に入り、長野のパチンコ店の運営を担う
20歳 結婚
21歳 娘が誕生。1984年に人生計画を立てる
1985年 放送大学に1期生として入学
1991年5月 株式会社ボイスメディアを設立
1995年 インターネット事業を開始
1999年8月 株式を店頭公開
2004年3月 著書『一冊の手帳で夢は必ずかなう』を出版
2026年10月 不正アクセス問題でブログに謝罪文を掲載
2026年11月2日 記者会見に出席予定

年表を見ると、高校中退から上場までの約20年間に、家業、結婚、学び直し、起業が続いていたことがわかります。

中でも、21歳で立てた「35歳で上場」という目標と、実際に上場した時期はほぼ一致しています。

父の事業を手伝い、パチンコ店の立て直しを任される

熊谷正寿さんの父は、飯田橋で映画館「佳作座」、神楽坂でディスコを経営していた実業家です。

高校を中退した熊谷正寿さんは、さまざまなアルバイトを経て、18歳になる前に父の家業に入りました。

きっかけは、長野のパチンコ店の店長が急に辞め、運営が難しくなったことでした。

熊谷正寿さんは父に自分から運営を申し出て、業績が振るわなかった店を地域で一番の店に立て直しています。

本人は2006年のインタビューで、これが社会人として初めての成功体験だったと話しています。

父からは「一番安い給与で一番働いて、他の社員の手本になれ」と教えられたそうです。

21歳で立てた人生計画と手帳術

21歳のころ、熊谷正寿さんは手帳に「やりたいことリスト」を書き始めました。

あわせて、人生の目標をまとめた「人生ピラミッド」や、35歳までの「未来年表」も作っています。

東洋経済の記事によると、1984年に「35歳で会社を上場させる」という計画を立て、1カ月遅れの36歳で実現しました。

この手帳の使い方は、2004年の著書『一冊の手帳で夢は必ずかなう』にまとめられています。

ほかにも『情報整理術 クマガイ式』など、仕事術に関する本を出しています。

2004年からは公式サイト「クマガイコム」でブログを続けており、今回の謝罪文もこのブログに掲載されました。

1991年に創業し、1999年に上場

1991年5月、熊谷正寿さんは27歳で株式会社ボイスメディアを設立しました。

2006年のインタビューによると、当初は電話会議装置の開発などを手がけていたそうです。

その後、インターネットの可能性に注目し、1995年にインターキュー株式会社としてインターネット事業を始めました。

そして1999年8月、独立系のネットベンチャーとして国内で初めて株式を店頭公開しています。

21歳で立てた「35歳で上場」という計画を、ほぼ予定どおりに実現した形です。

熊谷正寿は何者?妻や総資産、経歴のまとめ

最後に、熊谷正寿さんについてわかっていることを整理します。

記事で取り上げた内容の要点は、次のとおりです。

熊谷正寿は何者?妻や総資産、経歴のまとめ
  • 熊谷正寿は1991年にGMOインターネットグループを創業し、現在もグループ代表を務める
  • 妻とは20歳で結婚し、21歳で娘が誕生。妻の名前や職業は公表されていない
  • GMO株を資産管理会社と合わせて約44%保有し、評価額は1000億円を超える規模
  • 國學院高校に首席で合格したが2年生の夏に中退し、放送大学は在学期間満了で除籍
  • 父の会社でパチンコ店を立て直し、21歳で立てた計画どおり36歳で上場を果たした

熊谷正寿さんは、高校中退という学歴から、手帳に書いた人生計画をもとに上場企業グループを築いた経営者です。

一方で現在は、グループ会社への不正アクセス問題で、経営トップとしての説明が求められています。

11月2日の記者会見で、攻撃者の特定に向けた状況や、今後のセキュリティ対策がどこまで語られるかが注目されます。